正義は立ち位置によって変わる

おなかの調子が悪いことがある

今の世界情勢について語るわけではないのです。

端的に言えば浣腸の話しです。

私はごく稀におなかの調子が悪くなり

浣腸を使用することがあります。

今回も例に漏れずに体調不良により浣腸を購入すべく薬局へ向かいました。

少し恥ずかしくても買うしかない

買いには来たものの、いつもの羞恥心に苛まれる。

もちろん過去に何度も購入経験はあるが慣れるものではない。

この浣腸が持つ独特な空気感は他に類を見ないのではないだろうか。

まず、名前がダサい。

カンチョウ。この間抜けな語感を耳にすると誰しもが子供のころに経験したクラスのお調子者

の傍若無人な振る舞いを思い浮かべるのではないか。

現代の子供にもまだ残っていると聞くこの悪習により名前を聞くだけで

何か大人として恥ずかしい気持ちになる。

なぜあの技はカンチョウなのか

ザヤク!ではいけなかったのか

ザヤクの方が差しっぱなし感があるし

フォルムからして弾丸を放っているような必殺感もあるではないか。

次に形だ

涙滴型というのだろうか

この機能性に最適化された形状はそれを手に取った姿を見られるだけで

次の行動を脳裏に投影さてしまう。

私が商品を前に

今日は何mlにしようかと思う間に

周囲の客からの私は既にズボンを下した姿に映っている事だろう。

何たる仕打ち!

レジが女の子

このような苦難を乗り越え

平静を装いレジに向かいます。

何という事でしょう

レジには若い女性が立っています。

大学が近いのできっと大学生でしょう

なぜかとても後ろめたい気持ちになります。

よく考えれば、薬局で購入する商品はパーソナルなものが多く

買っている姿を見られたくない機会は

アダルトショップよりも多いのではないでしょうか。

(ちなみにわたしは○○ホールを買っている姿を同僚に見られたことがあります。)

話しが逸れましたが

買わないわけにはいきません。

かなり恥ずかしいのですが

平静を装い商品を差し出します。

すると

軽蔑されたような視線を投げられました。

。。。

いくらなんでもこの仕打ちは。。

キミ

違う事想像してない?

それぞれの立場の正義がある

このように互いに

lose/lose の関係になることはままあることです。

立場が違えば見える景色も違うものです。

同じ浣腸でも

違うものに見えることもあるのかもしれません。

そんな話。

おわり

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